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早期英語教育の表と裏 ― 英語教育改革と学習者のスタンス
第1回:日本人にとって必要な英語力とはでは、現在進められている英語教育改革の目標を達成する難しさについて触れました。第2回では、前回の内容を受けて、到達可能な目標としてどのような英語力が考えられるかと効果的な英語学習の順序について見ていきたいと思います。
第2回 英語はひとつではない
「英語」?「米語」?
最近はあまり話題にならなくなりましたが、英語といえば以前は「英国英語(British English)」と「米国英語(American English)」の対比がよく取り上げられました。英語というくらいですから、元々「英国の言葉」を指していた英語ですが、世界の情勢(特に、経済的影響力)が米国中心に変わったことで、今では英語といえばむしろ「米国英語」を指すことが多いかもしれません。
両者には、発音、語彙、綴りなどの一部に違いがあり、またそれぞれに特有な表現なども見られますが、16世紀までは同一の起源をもつものであり、その後それぞれの国の歴史や文化の中で変化してきたのですから、基本的にはひとつの言語といってよいでしょう。このような「英語」と「米語」の分類とは異なり、世界にはもっと違った種類(性格)の英語が存在しています。
英語にかかわる人口
一連の英語教育改革の議論の中で、文科省が英語教育充実の必要性を訴える根拠として、「英語を公用語・準公用語とする国」が世界に54ヵ国あり、その人口が21億731万人あまりに上るという数値を上げています。これは2005年の数値ですが、この時点で世界の人口が約65億人ですから、世界の人口のほぼ1/3が英語圏に属するということになります。ただし、「母語人口」「使用人口」としてはそれぞれ中国語が最も多く(その人口は8億8千万人と10億7千万人)、英語のそれぞれの人口は4億人と5億1千万人となっていて、ともに英語は第2位になります。
「公用語・準公用語」で21億人なのに対して、実生活上の「使用人口」がその半分しかないのは、これも前回アジア諸国に関して言及したように、世界の多くの国ではひとつの国の中でも多数の言語が使われており、政治的・経済的な必要から統一的な公用語として英語を採用している国が多いからです。それらの国々では、日常的には土着の言語を主に使っていて、公式の場や異なる言語間でコミュニケーションが必要な時には(必要な人は)英語を使うという二重構造になっています。
このように「英語」と言っても、世界にはいろいろな「英語の使い方」が存在します。言語学者の鈴木孝夫氏は、世界には多様な英語が存在するとして、使用する場面の違いをもとに英語を下記の表のように分類し、日本人はその言語環境を考えると「国際英語」を習得するのが適していると述べています。(『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書、1999年)
改革の効果を高めるためには
確かに、いくら学校教育で英語を学んでも、日常生活や社会生活で英語を使う必要性がないならば、英語を実際に使用する機会は限られています。外国人の来日が増えているといっても、あるいはインターネットなどで英語によるコミュニケーション機会が増えているといっても、当面その必要性は限定的です。おそらく、日本人が英語を必要と感じるのは、入学や入社、あるいは昇進のための試験といった社会的な選抜に備えるときというのが最も多いのではないでしょうか。
言葉の運用能力は使うほど高まり、使わなければ急速に衰えるものです。将来確実に英語が必要になる職業を目指すとか、英語を活用して何かをしたいといった場合は別として、「いつか必要になったときのために…」という要因だけでは、長期の英語学習を支えるには十分な動機づけにはなりづらいでしょう。
だから英語教育は不要だ、と言うのではありません。英語を必要とする人は今後益々増えるでしょう。ただし、どのような形で、どの程度の英語が必要になるのかよくわからない大多数の国民に、一律の英語力を求めることの難しさと無駄にも目を向ける必要があります。
ともすれば、「よりよいものを」「どうせなら本物を」と要求水準を知らず知らずのうちに高くしてしまうのが、教育の特徴のひとつです。それがいかに良心的な動機であったとしても、一旦目標として定められると、そこには評価が生じます。そして多くの場合、評価は一部の優越者と大多数の失意者を生み出してしまいます。すべての子どもを巻き込んで、膨大なエネルギーを費やした教育の結果が一部の優越者と大多数の失意者では、その教育の真意からかけ離れたものではないでしょうか。そのような事態を避けるためにも、もう一度「目指すべき英語力」について広く議論する必要があるのではないでしょうか。
「易しいものから」ではなく、「身につくタイミング」を大切にする
英語を含む言語を習得するとき、人は「聞く」「話す」「読む」「話す」能力を同時に高めているわけではありません。特に母語以外の言語を学ぶ際には(これを「第二言語習得」と言います)、母語を習得した時とは異なる年齢や環境・意図の下での習得となりますから、母語を習得した方法をそのまま当てはめるわけにはいきません。ただし、言語の最も根源的な要素である「音声」がすべての基礎になる点は同じです。特に英語については今後4技能が重視されますので、リスニングやスピーキングにとって「音声」は欠くことができないものです。この音声面の習熟を土台にしてリーディングやライティングが総合力として向上すると考えられます。また、音声面の習熟にはできるだけ若い時期から始めるのが有効だと言われています。最近の脳科学の研究によると、人間の脳は大体2歳くらいまでのうちに「聞き取れる音素(音声の最小単位)」が決まるようです。厳密に言うと、それ以降は母語に含まれない音素を識別することが難しくなるということです(例えば、日本語にはないRとLの聞き分けなど)。これは、まだ働きが決まっていない脳細胞を実際に必要な働きに限定することで、限られた数の脳細胞をより効率的に機能させるための変化なのです。
だからと言って、2歳から英語教育を始めるべきだと言うのは現実的ではないでしょう。それでも学習を担う脳の性質を考えるならば、たとえば「何から始めるべきか」といった点についてもしかるべき順番があり、すべてを少しずつ教えるよりも効果的な学び方があるということには十分配慮すべきではないでしょうか。
(第2回 おわり)